尾崎豊が小学1年生の時に入学したのは『東京都練馬区立田柄第二小学校』でした。
しかし
尾崎豊が小学5年生の2学期の時東京都練馬区の都営住宅から、埼玉県朝霞市にマイホームを建築して引っ越しました。
それにより尾崎豊はそれまでの東京都練馬区立田柄第二小学校から、埼玉県朝霞市内の小学校へ転校することになりました。
尾崎豊 小学校高学年の不登校
1976年(昭和51年)9月、小学5年生の2学期の時に父親が朝霞駐屯地に転勤になった為、埼玉県の朝霞市溝沼に新居を構え、一家で転居。
小学校は埼玉県朝霞市立朝霞第一小学校に転入。
慣れ親しんだ小学校や友達と離れ離れになった尾崎豊さん。
のちに中学へ上がるとその校区の中学校へ越境入学したことからも、練馬区での友達が馴染みやすかったのでしょう。
【兄 尾崎康氏の著書より】
転校してしばらくしてから豊は、体の不調を訴え、登校を拒むようになる。
家族も当初はそれほど深刻には受け止めない。
けれどもある日、豊が学校から姿を消した。
学校から連絡があり騒ぎになった。
やがて豊から電話があり、あまり怒らないだろう「お兄ちゃん」にかわってくれと指名してきた。
尾崎豊 秋葉原へ行っていた理由は?
小学校から抜け出して尾崎豊が行っていた場所は『秋葉原』でした。
お兄さんが迎えに行き、二人は駅の改札で待ち合わせをしました。
【現在の秋葉原駅】
小学生の尾崎豊が秋葉原に行っていた理由は『アマチュア無線』
お兄さんも『アマチュア無線』がやりたくてしかたなかったそうです。そして弟の尾崎豊もアマチュア無線にとても興味をもち、免許を取ろうと小遣いをはたいて通信教育まで申し込んでいます。
尾崎豊と兄が歩いた秋葉原から池袋
学校から抜け出し秋葉原へ行っていた尾崎豊と秋葉原駅で待ち合わせしたお兄さんは、すぐに電車には乗らず、秋葉原駅から池袋駅までただ歩いて行ったそうです。
理由は『なんとなく、このまますんなりと帰ってはいけないような気がしたからだ。』と語られています。
二人が実際に歩いた道のりをたどってみようと地図で見てみました。
秋葉原駅から池袋駅まで、電車でも20分くらいかかるのです。
道もわからなかったと書かれているので、迷い迷い歩かれたでしょう。
でも、尾崎豊にとって、一緒に歩いてくれたお兄さんの存在はどれだけ心強かったか。
池袋駅から電車に乗って実家に着いたのは夜でした。
この日のことは印象に残っていたらしく、尾崎豊は雑誌のインタビューでも語られています。
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